ラムセス大王の逸話や身長・驚きの妻子の人数や死因などを詳しく解説します。
また、墓の場所やミイラは今どこにあるかなどもたっぷりご紹介します!
2025年春に豊洲での開催が予定されている「ラムセス大王展 ファラオたちの黄金」
エジプト政府公認のワールドツアーとあって始まるから話題です。
ただ、ラムセス大王ってどんな人?なにした人?はっきり答えらえられる人は多くはないのではないでしょうか。
そこで今回はラムセス大王(ラムセス2世)についてたっぷり解説していきます!
ラムセス2世(ラムセス大王)とは
ラムセス2世は古代エジプト第19王朝のファラオであり、紀元前1279年から約66年間という長い治世を築きました。
彼はエジプト史上最も偉大な支配者の一人とされ、政治、軍事、建築の分野でその名を残しています。
特にヒッタイト帝国との「カデシュの戦い」が有名で、この戦いの後、歴史上初期の平和条約を締結し、エジプトの安定と繁栄をもたらしました。
また、彼は数多くの壮大な建築物を建て、その中でもヌビア地方のアブ・シンベル神殿は象徴的な存在です。
彼の像や神殿はエジプトの力と宗教の威厳を誇示するために設計されました。家族面では、多くの妃や子供を持ち、特にネフェルタリ王妃への愛情は、彼女に捧げた神殿に象徴されています。彼の治世はエジプトの黄金期として記憶されています。
ラムセス2世はなぜラムセス大王と言われているのか
ラムセス2世が「ラムセス大王」と称される理由は、彼の治世中に成し遂げた多大な業績と、エジプト史上における圧倒的な存在感にあります。彼の治世(約66年間)は古代エジプトの中でも特に長く、その期間中にエジプトは政治的、軍事的、文化的に大きな発展を遂げました。
まず、彼の軍事的成功が「大王」と呼ばれる理由の一つです。特にヒッタイト帝国との「カデシュの戦い」での戦果や、その後の平和条約締結は、古代世界において平和構築の模範ともなりました。この条約により、エジプトは周辺国との安定した関係を築き、繁栄を確保しました。
さらに、彼が残した建築プロジェクトの規模と美しさも、その称号の由来です。アブ・シンベル神殿やカルナック神殿の増築など、彼の時代に建てられた壮大な建築物は、彼の権力と宗教的な影響力を今に伝えています。これらの遺産はラムセス2世の名を不朽のものとし、「大王」の名にふさわしいものとされています。
加えて、彼の治世はエジプトの安定と繁栄の象徴でもあり、国内外における彼の影響力は他のファラオと比較して圧倒的でした。そのため、後世の人々は彼を単なる統治者ではなく、エジプトの黄金時代を築いた「大王」として称えたのです。
ラムセス2世の逸話・伝説
1. 「カデシュの戦い」と平和条約
紀元前1274年、ラムセス2世はヒッタイト帝国と「カデシュの戦い」を繰り広げました。この戦いでは、ラムセス2世が敵の包囲網に孤立する危機に直面しながらも、個人の勇敢さと軍事的な指揮能力でエジプト軍を鼓舞し、劣勢を挽回しました。その後、エジプトとヒッタイトの間で結ばれた平和条約は、現存する最古の国際条約の一つであり、ラムセスの外交手腕の象徴となっています。
2. アブ・シンベル神殿の建設
ラムセス2世が建設したアブ・シンベル神殿は、ヌビア地方でのエジプトの威信を示すために建てられました。この神殿の正面には高さ20メートル以上の彼の巨大な座像が4体並び、彼の権力を永遠に刻むためのものです。また、この神殿は特定の日に太陽の光が内部の神像を照らすように設計されており、彼の建築家たちの驚くべき技術力も示しています。
3. ネフェルタリへの愛
ラムセス2世は、第一王妃ネフェルタリを特別に愛していたことで知られています。その証拠に、アブ・シンベルには彼女のために小神殿を建設しました。この神殿では、彼女が女神ハトホルと同等の地位で描かれ、ファラオの妃として異例の扱いを受けています。「太陽のために輝く彼女」という称号を与えたことからも、彼の深い愛情が伝わります。
4. 90歳超の長寿
古代では稀なことに、ラムセス2世は約90歳という長寿を全うしました。彼の治世があまりにも長かったため、多くの後継者が彼より先に亡くなり、最終的に13番目の息子が後を継ぎました。この長寿により、彼の名前は何世代にもわたって「偉大な祖父」として知られるようになりました。
5. 「メルエンプタハ碑文」の誇示
ラムセス2世は「大王」としての誇りを持ち、戦勝を石碑に刻むことで広く知られています。中でも息子メルエンプタハの時代に完成された「メルエンプタハ碑文」には、ラムセスの勝利とエジプトの繁栄が称えられています。これらの石碑や記録物は、ラムセス2世が自らの功績を後世に伝えようとした意図を強く物語っています。
ラムセス2世の身長は何cm?
ラムセス2世の身長については、彼のミイラの調査結果から推定されています。彼のミイラは1881年にデイル・エル・バハリで発見され、その後詳しい分析が行われました。その結果、死後に縮んだ可能性があるものの、ミイラの状態での身長は約173センチメートルと測定されています。古代エジプト時代の平均身長と比べると非常に高い部類に入ります。
さらに、生前の身長は死後の収縮を考慮して180センチメートル近かったのではないかとも推測されています。これは、当時のエジプト人の平均身長が160センチメートル前後とされていることを考えると、彼が際立って体格の良い人物だったことを示しています。
ラムセス2世がエジプトの王としてだけでなく、その堂々たる体躯によっても威厳を保っていたと考えられています。
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ラムセス2世の妻と子の人数
ラムセス2世は、多くの妻と非常に多くの子供を持ったことで知られています。正確な人数は歴史的資料からすべてを特定するのが難しいものの、考古学的証拠や記録から推定されています。
妻の数
ラムセス2世には王妃と側室を合わせておそらく200人以上の妻がいたとされています。その中で特に有名な妻には以下の人物が挙げられます:
- ネフェルタリ:最も愛された第一王妃で、アブ・シンベルの小神殿が彼女に捧げられています。
- イシスネフェルト:第二王妃として高い地位を持ち、後継者メルエンプタハの母とされています。
- マートネフェルラー:外交的婚姻の一環として迎えられたヒッタイトの王女。
外交上の理由で、ヒッタイトや周辺諸国からも妃を迎え入れていたため、妻の数は非常に多岐にわたります。
子供の数
ラムセス2世の子供は、記録に残っているだけでも100人以上にのぼります。内訳としては、50人以上の息子と50人以上の娘がいたとされています。多くの子供たちはラムセス2世の治世中に重要な役職に就き、エジプトの統治や外交を支えました。
特に有名な子供には以下の人物がいます:
- アモンヘルケプシェフ:長男で王位継承者でしたが、父に先立って亡くなりました。
- メルエンプタハ:ラムセス2世の13番目の息子で、最終的に彼の後を継いでファラオとなりました。
- ベントアナト:娘でありながら神殿の管理や政治的な役割を果たしました。
ラムセス2世の死因
ラムセス2世の死因については、彼のミイラの調査からいくつかの仮説が立てられています。彼は約90歳という非常に高齢で亡くなっており、古代エジプトでは稀な長寿を全うした人物です。そのため、死因は主に加齢に伴う健康問題と考えられています。
以下が彼の死因に関連するとされる要因です:
- 歯や歯茎の病気
ラムセス2世のミイラを調査したところ、彼は重度の歯周病や歯の摩耗が進行していたことが判明しました。これにより、食事が困難になり栄養不良を引き起こした可能性があります。 - 関節炎
ミイラの検査では、ラムセス2世が重度の関節炎を患っていたことがわかっています。彼の背骨は曲がり、移動が困難だった可能性が高いとされています。 - 動脈硬化の兆候
現代のCTスキャン技術を用いた分析により、ラムセス2世の血管に動脈硬化の兆候が見られました。この病状は彼の高齢や生活習慣と関連していると考えられます。 - 感染症の可能性
歯や体内の感染症が命に関わる要因になった可能性も指摘されています。
これらの健康問題が複合的に影響し、最終的には自然死に至ったと考えられています。彼の90年という寿命は、当時としては驚異的であり、彼が長期間エジプトを支配できたのはその体力と健康が支えた部分も大きかったでしょう。
ラムセス2世の墓の場所
ラムセス2世の本来の墓は、王家の谷(ヴァレー・オブ・ザ・キングス)にあります。墓の正式な名称はKV7で、ナイル川西岸のルクソール近郊に位置しています。この墓は、彼の治世中に建設されたもので、古代エジプトにおける王族専用の墓所である王家の谷の中でも重要なものの一つです。
しかし、ラムセス2世の墓は長い歴史の中で盗掘や破壊を受けており、彼のミイラや副葬品は墓の発掘時には発見されていませんでした。墓内は崩壊が進み、洪水による浸水の影響も受けているため、完全な状態で保存されているわけではありません。
彼のミイラ自体は、盗掘から守るために新王国時代の末期に別の場所に移され、最終的にデイル・エル・バハリ(DB320)という隠し墓に安置されました。この隠し墓は他のファラオや王族のミイラと共に安全を確保するために設けられたもので、1881年に発見されています。
現在、ラムセス2世のミイラはカイロのエジプト文明博物館(National Museum of Egyptian Civilization)で公開されています。一方、KV7の墓そのものは観光地として一般に公開されていますが、歴史的遺構としての価値が中心です。
さいごに
彼の功績もすごいですが、妻子の数、長寿、高身長…など人間的な魅力にあふれた人でカリスマ的な存在だったことが分かります。
ラムセス大王展、気になりますね!
では