こんにちは。YAYOIです。
私は怖い話や不思議な話が大大大好き😍なので、怖い話や不思議な話を紹介していこうと思います😏
「かっぱ橋」2つの名前の由来
『かっぱ橋(合羽橋)』は私たちの会社の近くにある商店街。
各種の厨房用品や設備に係わる専門店が立ち並び、調理・厨房備品の専門街として有名です。
また、レストランなどで見かける食品サンプルがガイドブックで紹介され、海外からの観光客にも人気の場所なのです✨
そんなかっぱ橋ですが、名前の由来には二つの説があります。
「雨がっぱ」作りという説
一つは江戸時代にこの地域に住む武士の副業が雨合羽づくりで、天気が良い日には近くの橋に干していたためという説。(武士も副業してたんか😲!)
あと一つは、妖怪の河童から。
それはどんな説かと言いますと…
妖怪の河童という説
今から約200年前、江戸時代の文化年間(1804-1818)のお話。
松葉町(現在の台東区松が谷)に 合羽屋 喜八(かっぱや きはち)と言う方がいたようです。
当時のこの地域は水はけが悪く、雨が降ると水害が起こる危険がありました。(梅雨や台風の季節は大変そうです~💦)
なので、喜八さんは私財を投じて堀を作ることにしました。(凄い🙌&偉い😍)
ですが、工事は思うように捗らなかったようです😔
その様子を隅田川に住んでいた河童たちが見ていて、工事を手伝ってくれました。(河童グッジョブ👍)
河童たちは喜八さんの善行に感動して、助っ人に来てくれたようです✨
そのおかげで、無事に掘割工事は完成しました🙌🙌🙌
この商店街から5分ほどの場所に『曹源寺(そうげんじ)』と言うお寺があり、そこに喜八さんのお墓があります。
掘割工事でなんと全財産を使ってしまった喜八さん。
そんな喜八さんに感謝した付近の住民たちによって、喜八さんは盛大に弔われたようです。
そして不思議なことに、河童を見た人は運が開け商売も繁盛したと言われています😍
喜八さんの伝承を由来としているこの説は、なんだかロマンがありますね🥰✨
めでたしめでたし👏😆
河童についての怖い話
【⚡WARNING⚡】
👻怖い表現アリ 以下 閲覧注意 自己責任です👻
【⚡WARNING⚡】
今は河童はかわいらしくキュートなイメージがありますが、子どもや牛馬を水の中に引き込んで殺してしまう実は怖い妖怪です。
河童は人間の内臓を食べるのです🍖🍖🍖
川に引き込まれた人間は河童に内臓をえぐられ、骨と皮だけにされたり、前の話のように運が開け~なんてことはなく、見てしまったら精神が錯乱するそうですよ😏
江戸時代 八王子に住んでいた尾崎さんの日記によると、
天保12年(1841年) 夏の暑い日に、繁蔵さんという男性が子供と水遊びに行ったところ溺れて亡くなった。
彼の死体の下半身は損傷(※)しておりなんとも不気味だったと言います。
その死体の様子から、繁蔵さんの死は河童の仕業とされたようです🤯
皆さんも水辺にはくれぐれもご注意を…👻👻👻
(※)表現を柔らかくしています👼
浅草寺の歴史
浅草寺(せんそうじ)は写真やTVなどで一度は目にしたことがあるであろう超有名な雷門がある浅草のお寺です。
東京都内最古のお寺で、正式には金龍山浅草寺(きんりゅうざんせんそうじ)と言います。
浅草寺は1400年近い歴史をもつ観音霊場だそうですが、 なんと江戸時代中期の浅草寺周辺には行き倒れや自殺者の死体が集まる場所になっていたようです。ひえー😱
当時は死体が発見されると、3日から7日間ほど立札が出されて、引き取り手がいないご遺体は浅草寺が引き取り丁寧に葬ったそうです。
行き倒れた人の多くは旅人や旅の僧で、1770-1771年(明和7-8)頃には、境内で亡くなる行き倒れの数が急増し、また自殺者も多くいたようです。 何があったんだ明和7-8年・・・🙄
浅草寺の怪異
そんな浅草寺の怪異は、奉納された絵馬に描かれた馬が絵から飛び出し、野辺に出て草を食べていたそうですが、絵馬の馬に縄を書き加えたところ、馬が外に出なくなったとか。一休さん的な?😁
『花吹雪隈手廻塵(はなふぶきくまでのちり)』(1863年/文久3)という随筆には、子供が天然痘にかかる前に、毎月8日に浅草寺雷神門(雷門)の雷神の股をくぐらせると、天然痘が重篤化することはないと書かれているそうです。 ※今の雷門は雷神様の股の下をくぐれない仕様になっています。
牛鬼の伝承
他にも『牛鬼』と呼ばれる妖怪が出没したらしいです。🐮👹
牛鬼は鎌倉時代にあらわれたとされ、残忍・獰猛な性格で、毒を吐き田畑を荒らし人を食い殺す恐ろしい妖怪です。
『吾妻鏡(あづまかがみ)』によると1251年(建長3)、牛に似た怪物が突如あらわれ、浅草寺に走り込み4人の僧侶がその毒気にあたって昏倒し、7人の僧侶が即死した。
『新編武蔵風土記稿(しんぺんむさしふうどきこう)』には、建長年間(1249-1256年)に浅草川(今の隅田川)から、牛鬼のような異系の怪物が飛び出し、牛御前に乱入してそのまま姿を消した。
その時に牛鬼が落としていった玉を牛玉として牛御前の社宝にした。とあるそうです。
牛御前というのは、現在の牛嶋神社のこと。
牛嶋神社と呼ばれるようになったのは明治時代からで、江戸時代は『丑御前』と呼ばれていました。
今の牛嶋神社は浅草の仲見世を通り過ぎて言問橋を渡った先にありますが、1923年(昭和7)より以前は長命寺の近くにあったんですって。(※長命寺は桜餅が有名す)
牛嶋神社には、牛にちなみ「撫で牛」という像があります。この像が置かれる以前は牛型の自然石が置かれていたんですって。
また、『喜遊笑覧(きゆうしょうらん)』に、浅草駒形の門前より女の牛鬼があらわれ走り去ったという記事が書かれているようです。
牛鬼の伝承は西日本にも数多く残っているようですが、東京浅草にも牛鬼が好む何かがあったんでしょうね。
今はあんなに賑わっている浅草寺も、はるか昔には行き倒れた人や自殺者の死体が集まり、人を食い殺す獰猛な妖怪が大暴れしていたと思うとちょっと見方が変わってくるかもしれませんね。😏ニヤリ
浅草寺についてもっと詳しく知りたい方は、こちらの記事もオススメです。
本所七不思議
本所七不思議って聞いたことありますか?
墨田区南部にある「本所」を舞台にして語り継がれてきた東京(江戸)で有名な七不思議です。
本所は江戸時代初期のころは低湿地帯でした。
寛文(1661-1673年)に橋(現 両国橋)が建設されて開発が進みます。湿地も埋め立てられますが、一歩裏道に入ると寂しい土地柄で、湿地地帯特有の暗い雰囲気は残り、そうしたことから様々な怪異現象が語り継がれることになりました。
七不思議と言っても語る人によって内容が違うため実際は7つより多いようです。
全部は知らなくても1,2こは聞いたことがあるかもしれません。
① 置いてけ堀
横十間川に続く錦糸堀で釣りをしていた人が、夕方になったので魚をカゴに入れて帰ろうとしたとき、どこからともなく「おいてけ、おいてけ」と声が聞こえました。 怖くなって急いでその場を離れると、気づいたときにはカゴに入れた魚がすべて消えてなくなっていたそうです。
この場所では、どんなに魚を釣っても置いていかなければならないのです。
怪異の正体は狸や河童の仕業と考えられたようで、現在の錦糸堀公園には置いてけ堀にちなんだ河童の像があります😁
また、横十間川沿いにある第三亀戸中学校の正門横に「おいてけ堀跡」の石碑が建てられています。
江東区亀戸一丁目
最寄り駅:JR「錦糸町駅」
② 送り拍子木
江戸時代の本所入江町(現 墨田区緑辺り)は、時の鐘をつく時鐘屋敷がありました。
また、遊客目当てのごはん処も立ち並んでたそうですが、現在のように街灯や深夜営業のお店もなく、人のいなくなる夜遅くは寂しい街だったようです。
ある日、入江町から少し離れた本所割下水(現 墨田区亀沢)あたりを、一人の男性が拍子木を打ち「火の用心」と声出ししながら夜回りしていました。
すると同じように拍子木を叩く音がしました。気の所為だと歩き始めたところ、すぐ後ろで更に大きな拍子木の音がしたため、怖くなり急いで番小屋まで逃げ込みました。
当時の夜回りはこの「送り拍子木」の怪異を体験したそうですよ。
このあたりにあった津軽藩上屋敷の跡地は現在緑町公園があり、大横川親水公園には時の鐘レプリカが置かれています。
墨田区亀沢二丁目
最寄り駅:JR「両国駅」
③ 狸囃子
狸囃子は夜になるとどこからともなくお囃子の太鼓の音が鳴り響き、遠くで聞こえたと思うと近づいてきたりする不思議なお囃子のこと。
どこで太鼓が叩かれているか誰もつきとめたことがないという怪現象です。
江戸時代後期の『反古のうらがき』という文献に、ある人が狸囃子の正体をつきとめようと市ヶ谷から麹町、飯田橋まで歩き回ったが音の出所に行き当たらなかったという話があります。
その文献には、若者たちが毎晩、土蔵や穴蔵で祭囃子の練習をしていて、その音が風に乗って遠くの方まで聞こえるのだと書いてあるそう。
松浦家下屋敷跡
墨田区東駒形三丁目付近
最寄り駅:都営浅草線「本所吾妻橋駅」
狸囃子の実体験
…実は私も狸囃子?的なものに遭遇したことがあるのです🙄oh
高校生のとき、自分の部屋で夜更かししていました。
家の外から太鼓を叩く音が聞こえてきて、遠くに行ったり近くに行ったり音がどこからするかわからなかったのですが、『反古のうらがき』にあったように、どこかで誰かが練習してる太鼓の音が風に乗って聞こえてるんだなと思っていましたが、時間帯は深夜2時過ぎ、そして季節は真冬。
私の実家の周りは田んぼと畑で民家はまばらです。
こんな時間になんだろ🤔って思っていたら、私の部屋の中で太鼓の音がしました。
その後特に何も起こらず、こうして元気に生きているのですが、今でも音の正体は謎ですね。
④ 足洗い屋敷
本所三笠町(現 墨田区亀沢四丁目辺り)に、味野岌之助(あじのきゅうのすけ)という方の旗本屋敷がありました。
その屋敷では、夜になると家が揺れ動き生臭いにおいが漂い、天井板を突き破って血まみれの男の大足があらわれ「足を洗え」とわめきたてました。
女中さんたちがその足を洗ってあげると、足は消え天井板も元通りに戻ったそう。
これが「足洗い屋敷」の怪現象です。
この怪現象だけでも嫌なのに、足を洗う時に手を抜いたりすると大足は暴れ出したようで、たまりかねて逃げ出す奉公人も出てきました。
主人の味野さんはこの話を同僚に愚痴ったところ、設楽さんという方が試しに互いの家と交換してみようと提案してきました。
その通りに家を交換したところ、大足はあらわれなくなったそうです。(🤔ん?家に憑いていたとしたら交換した設楽さんの家に出るようになったとかではないのか?どちらの家にも出なくなった?謎)
千住でも似たような話が伝わっているようです。
こちらの大足は女性版で、大足が出た家を解体したら天井裏から女性の足と火打石が出てきたという犯罪案件です。😨
★墨田区亀沢四丁目付近
最寄り駅:JR「両国駅」
⑤ 片葉の葦
本所横網町(現 墨田区横網)に住んでいた留蔵(とめぞう)というならず者が、お駒という飲み屋の女性を好きになり、今で言うストーカー行為を繰り返しました。
振り向かないお駒さんに逆恨みした留蔵は、駒留橋(こまどめばし)で待ち伏せして、お駒さんを殺害します。
留蔵は更にお駒さんの手足を切り落とし、近くの溝に投げ込んで逃亡しました。
それ以来、その溝から生えてくる葦は片方より葉が生えず、これが「片葉の葦」の怪異です。
今は駒留橋はありませんが、両国橋のたもとに「駒留橋跡」と「片葉の葦」の案内板が立てられています。
★墨田区両国一丁目
最寄り駅:JR「両国駅」
⑥ 無灯蕎麦
ある冬の夜、本所南割下水(現 墨田区本所辺り)を男性が歩いていました。
ふと見ると、蕎麦屋の屋台が出ていたので蕎麦を食べようと近づくと、火種は残っているのに行灯は消えています。
少し待ってみようと、行灯に火を付けても風もないのにすぐ火が消えてしまいます。
何度やっても火は消えてしまい、男性は諦めて帰りましたが、その後男性に不幸な出来事が起こったそうです。
それ以来、灯りのついていない蕎麦屋台に立ち寄ると凶事が起こるといわれるようになりました。
その逆で、いつまでも灯りが消えないバージョンがあるようですが、この場合もその蕎麦屋台に立ち寄った人に凶事が起ったといわれています。
★墨田区亀沢三丁目付近 北斎通り
最寄り駅:JR「錦糸町駅」
⑦ 送り提灯
本所出村町(現 墨田区太平辺り)辺りは昼間でも寂しいところで、夜になると人っ子一人いないような場所でした。
ある春の夜、お酒を飲んだ帰りのお侍さんがお供と歩いていました。
すると、お侍さんの目の前に提灯があらわれ、まるで行き先を照らすように招いてきます。
近づくと提灯は消え、もとの暗闇に戻ってしまいました。
これといって害があるわけではなかったようですが、提灯が急にあらわれては消える現象は不気味ではありますね。
この現象は、現在の墨田区太平一丁目にある法恩寺(ほうおんじ)付近で起こった怪異だそうです。
★墨田区太平一丁目 法恩寺付近
最寄り駅:JR「錦糸町駅」
おまけ ⑧ 津軽の太鼓
七不思議を全部聞いたら悪いことが起こるそうですよ★
回避するにはあと一話足して八不思議にしないといけないのです。
なので、おまけの八不思議目😉
江戸は火事が多く、大名屋敷の多くが火見櫓を建てて火事に備えていました。
火事を見つけた場合は版木を叩いて知らせました。
しかし、本所緑町にあった弘前藩津軽家の上屋敷だけは、太鼓だったそうです。
なぜ津軽家だけが太鼓を叩くことを幕府に許されたのか人々は不思議がり、これがいつしか七不思議の一つに数えられるようになったそうです。
実はここ、前回【② 送り拍子木】で紹介した場所だったり😁。
★墨田区亀沢二丁目(緑公園一帯)
最寄り駅:JR「両国駅」