2024年11月27日、韓国・ソウルが大雪に見舞われ、16cmの積雪が観測されました。地元メディアでは「雪爆弾」として韓国全土に混乱を引き起こしたこの気象情報やそれにより発生した事故について報道が行われました。
この「雪爆弾」の歴史的背景について調査したのでご紹介します。
雪爆弾は韓国でいつから使われた?
韓国の冬は気温こそさがれど、雪はあまりふりません。そのため積雪10cmほどであっても暴雪(ポクソル)と称されていました。それが2024年11月27日にそれをはるかに超える16cmの積雪が雪が少なめであるとされるソウルで観測されたため、ここで「雪爆弾」との表現が初めて使われたと考えられます。
雪爆弾の原因や意味・対策についても紹介しています!
韓国での歴史上の雪災害
韓国ではあまり雪がふらないことから、歴史的な大きな雪被害を見つけることはできませんでした。ソウルの気象台では2010年1月の約26cmの積雪が観測史上最大で、立ち往生する車やスリップによる事故などが発生しました。
日本での歴史上の雪災害
日本の歴史上、大雪による悲惨な事故は過去にも発生しています。その代表的な例として、1902年に起きた八甲田山雪中行軍遭難事故が挙げられます。
この事故は、日露戦争直前の1902年1月に、日本陸軍が寒冷地での戦闘を想定して八甲田山で行った雪中行軍演習中に発生しました。参加した210名のうち199名が死亡するという大惨事となりました。
当時の状況について、以下のような詳細が明らかになっています
- 演習の目的:ロシアとの戦争に備えた寒冷地での戦闘訓練と、青森から弘前への補給路確保の検討。
- 気象条件:従来、「大寒波」や「未曾有の低温」が原因とされてきましたが、実際には強風を伴う豪雪が主な要因だったと考えられています。
- 判断ミス:2日目の夜中2時半に、雪洞から出発するという致命的な判断ミスを犯しました。真っ暗闇の中、猛吹雪で方向感覚を失い、わずか700mしか進めませんでした。
- 責任の所在:軍部は責任の所在を曖昧にするため、『遭難始末』において事故の原因を「未曾有の寒波」としたのではないかと推測されています。
この事故は、後に新田次郎の小説『八甲田山死の彷徨』や、高倉健主演の映画『八甲田山』としてドラマ化され、日本人の記憶に深く刻まれることとなりました。
この歴史的事例は、現代の「雪爆弾」のような極端な気象現象に対する警鐘となっています。気象条件の正確な把握、適切な判断、そして十分な装備と訓練の重要性を示しており、今日の防災対策にも大きな示唆を与えています。
日本で雪爆弾が発生する可能性についてもまとめていますので、参考にして見て下さいね。